3月11日の日常。
朝からストーブの前に張り付いて、せっせとレゴで遊ぶ我が子。
気が付けば、プクプクだった手が、いつの間にかちょっと大人の手みたいにガサガサになってきている。
2012年3月11日の朝。
http://nakanoshuichi.com/
http://nakanoshuichi.com/eng/top01.html
朝からストーブの前に張り付いて、せっせとレゴで遊ぶ我が子。
気が付けば、プクプクだった手が、いつの間にかちょっと大人の手みたいにガサガサになってきている。
2012年3月11日の朝。
「色を復活させたい!」
それが震災の映像を目の当たりにした時に思った素直な気持ちでした。
今まで、ちょっとやり過ぎたんじゃないかと思うくらい、いろんな色に満ちあふれていただろうそれらの街路から、全ての色は粉々に粉砕され、そして混ぜられ、さらにドロをかぶり、全てがグレーと化していました。
「もっと色があれば、気持ちも和らぐのかもしれない。」という気持ちから思いついた花々。
セッコク
ハマユリ
ネモトシャクナゲ
白菊
サザンカ
....
せっかくなら、サラ金の看板やパチンコやのネオンカラーではなく、様々な色を持った花々で、色を復活させたい!。
そんな想いもあって、被災された場所の市花、町花などを探し出し、そんな花で覆われた絵を作ろうと思い立った訳であります。
だからこその Fiori di TOHOKU/東北の花々(「flowers of ~」じゃなんか硬そうだったので)でありました。
もちろんこれで全てではないけれど、可能な限りできるだけ多くの花々を配して行きました。
そしてこんなモノ、ただの自己満足でしか無いのだけれど、絵描きとしての自分にできる、当時としては最高で最善の事だったと信じてます。
作品作りなんてたぶん100%自分のためでしか無いけれど、一生に一度くらい、自分じゃない誰かの事を考えながら作品を作ってもバチは当たらないだろうと思っています。
気になったら見に来て下さい。
最もそんな想いが見ただけで伝わらないような絵だとしたら、失敗作かもしれませんが。
*場所はこちらです↓
大きな地図で見る
その有効性はともかく日本各地でいろんな形で放射線量の測定が行われているようである。
その報告の度ごとに、セットで付けられる言葉がこれ。
「直ちに健康被害はない量である。」
でもたまたまYouTubeで見つけたこんな必死の訴えを聞いていて、ある事に気が付かされる。
「各地点の量は少ないけど、それを全部足して総量にしたらどれくらいの放射線量になるのだろうか?」
その映像の中では、確かにそんな数字についても述べられていたのだが、私自身、それを見るまでそんな風に考えた事さえなかった。
「健康に直ちに影響はない!」
この言葉は「言い訳」であって「救い」ではない。
もうすでに日本人の多くはその事に気が付いていると思う。
そして私は、事故車両を必至で土の中に埋めようとする中国の事をこれっぽっちも笑えない、同じような隠蔽体質の国で生きている事に気が付いてしまった。
* * *
ここ最近、激しい雨が降ったり止んだり。
で、庭にあるこんなブドウやブルーベリーにも雨粒が当り、さらには地面に落ちた雨水を吸い上げて滋養にしている。
しかしこの雨水が「恵みの雨」であると、今現在、誰が断言できようか??
忘れもしない、今からちょうど三ヶ月前、あの大災厄が起こりました。
しかしながら、被災された多くの方々が先の見えない生活を続けていて、また原発の放射能漏れは終息のメドさえ立っていない状況です。
そんな中ですが、何か一つ、些細な事でも良いですから、今日のこの日に何かできたら良いなぁ、と考えております。
特に何の準備をしなくても、また大きな呼びかけをしなくてもできるようなほんの小さな事...
あくまでも私一人の考えなので、最終的には他の二人と相談してからの事ですが、ただ、あの時を、そして今の状況を忘れない為の小さなアクション...
....できるかな?
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント