かがやきの丘、竣工記念式典
去る19日、作品寄贈しました「かがやきの丘」の竣工式に行って来ました。
本来なら開校間近の春先に行なわれる物なのかもしれませんが、何しろ工事を終えたのがつい最近らしく(周囲の芝なんか10月になってようやく植えられたとか)、まあ予定通りではあるのですが、とりあえず一応全部が仕上がってからお披露目した方が何かと都合がよろしかろうという事で、この時期なのでしょうか?
工事も終わり、銃器も取り払われた状態を改めて見ると、確かに春先に来たときよりも、明るくて過ごしやすい環境になっていることは一目瞭然でした。
竣工式典後には校内見学会も行われまして、「ハートアートの森」で作品を納めた他の作家さんたちとともに、施設見学と作品見学をして回りました。
作品によっては開校後に設置場所を変更になった物などもありました。
寄宿舎の方にはこんな手作りのサインなんかもありました。
作品の展示位置の変更もそうですが、やはり人が生活するようになると、建物の息づかいみたいなものが見えてくるし、また生活者の視線から見た適材適所みたいなものが少しずつ見えてきて、まるで生き物か何かの様に、成長しながら暖かみを増しているのを実感することが出来ました。
秋晴れの中、所々の教室で見ることの出来た授業や実習の風景はとても温かでやさしい雰囲気に包まれていました。
その後、場所を変えて、竣工記念祝賀会なども執り行われ、他の作家さんたちとも交流を深めることが出来て、とても充実した一日を過ごすことが出来ました。
ただ一つ印象的だった言葉が、会式の挨拶の中での「せめてこの学校の中にいる間だけでも、幸せに過ごすことが出来てあり難い(または良かった)。」と言う言葉。
裏を返せば、この学校で学んでいる人たちが、一歩学校の外に出てしまえば、厳しい現実が待っているという事であります。
どんなに素晴らしい学校で、どんなに優れた技術を習得しても、それを受け入れてくれる器があまりにも小さな今の日本の社会。
その他挨拶に立ったお偉い先生方は誰しも「新しくて立派な施設が出来て良かった」と口を揃えておっしゃっていましたが、ここに学ぶ彼らが「本当に良かった」と思えるのは、この学校を卒業した後もちゃんと自立した生活が送れる世界が、目の前にある事を実感できるときではないでしょうか?
少なくとも彼らが暗い気持ちで卒業の日を迎えることがないように、ここにお集りの議員の方々、工事関係の会社の方々、そして私たち芸術家が、少しずつでも良いから、世界を住みやすいモノにして行かなければならないのではないでしょうか?
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