被写界深度と空気遠近法、そして...

「被写界深度」も「空気遠近法」も絵や写真に奥行きを表現するための大事な技術(または表現方法)。
上の写真は、いわゆる「被写界深度の浅い」写真。
カメラのレンズについている「絞り」というのを開けて行く(数字を小さくして行く)と、ピントを合わせた所以外の前後にある空間がどんどんボケて行きます。
ひどい時にはポスターのたわみ程度で、ピントの合い方に差が出るほど、「浅く」なることも。
で、実を言うとこの現象、カメラなどのレンズを通した時でないと、なかなか認識できません。
例えば上の写真のようにモチーフを並べて絵を描くとします。
最初、こちらに割れ目を開いているザクロに自分の眼の焦点を当て見ています。
この時、その右隣のザクロや後ろのビンは意識の外(つまりアウト・オブ眼中)なので、それがどんな風に見えているか、ピントがボケているか、等という事は把握できません。
で、今度は後ろの「青いビン」を描こうと思って、そちらを見てしまうと、もうその時にはそちらにピントがあっています。
ほとんどの絵描きがそうだと思うのですが手前のザクロに意識を集中したままの状態で、その奥の青いビンを見て描く事は極めて困難な作業なんです。
(実際にやってみるとわかります。)
逆に言ってしまえば、写真の様な被写界深度の浅い絵があったとしたら、その多くは「写真を参考にして描いている」んだと思います。

そして「空気遠近法」。
これは空気の中の埃や水分によって、光が屈折し、遠くの物の明度や彩度が落ちて見える現象の事。
これは空気の層が厚くなればなるほど顕著になる現象で、その効果によって上の写真のように奥行きが表現できます。
そしてこちらは「被写界深度」と違い、肉眼でも把握できますし、絵の世界でも昔から利用されてきました。
ただ、この現象に「空気の層」が関わっているとするならば、遠距離だろうと至近距離だろうと、その距離に比例して起こる現象のはずなんですが、静物画や人物画ではほとんど使いませんし、部屋の中などの狭い空間にいるときは、そんな現象は全く意識されません。
(実を言うとそれらしい表現をしている人物画もあるにはあるのですが、その話はまた後日。)
実際、我が家の食卓に並べられた一番遠くの皿が霞んで「何が盛られているかわからない」なんて事は今まで経験した事ありません。
で、もう一つ。
以前「心的被写界深度」という話をしましたが、これをもう少し詳しく言うとこんな風になります。
目の前の美しい女性を描こうと絵を描きます。
その美しさを表現したいと思うあまりに、一生懸命、見て描きます。ピントのぴったり合った様な精度の人物が描かれて行きます。
ふと、その時、その後ろにべつの人物がいる事に気が付きます。
「まあ、この人はどうでもいいや...」
と思い「全く描かない」という選択肢もあった訳ですが、描かないと、逆に「この場の雰囲気が表現できない!」という事に気が付き、結局は描く事にします。しかしあまりはっきり描いてしまうと、手前の美人の印象が弱くなってしまいそうなので、何となくはっきりと描かない事にします。
これが一つの心的被写界深度。
本当ははっきり見えているのに、あえてはっきり描かない事で、画面に奥行きも出るし、表現の意図も明確になります。
さらに描き進めていると、その奥にきれいな桜の樹がある事に気が付きます。
で、画家は文字通りこの作品に、そして美人に「花を添えよう」とその桜の樹もしっかり、くっきり、はっきりと描きます。
こうなってしまうと、もう物理現象であるところの「被写界深度」と呼べる物ではありません。
でも、あえて表現したい物にピントを合わせ、そうじゃない物はボケさせるという「被写界深度」とよく似た表現法だと思ったので、あえて「心的被写界深度」なんて言い方をしてみました。
以上、すっかり話が長くなってしまいましたが、時々、こんなことを考えながら作業をしています。
根負けせずにここまで読んで頂いた方、本当にありがとうございました。
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