カテゴリー「制作日記」の71件の記事

2009年12月26日 (土)

被写界深度と空気遠近法、そして...

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「被写界深度」も「空気遠近法」も絵や写真に奥行きを表現するための大事な技術(または表現方法)。

上の写真は、いわゆる「被写界深度の浅い」写真。

カメラのレンズについている「絞り」というのを開けて行く(数字を小さくして行く)と、ピントを合わせた所以外の前後にある空間がどんどんボケて行きます。
ひどい時にはポスターのたわみ程度で、ピントの合い方に差が出るほど、「浅く」なることも。

で、実を言うとこの現象、カメラなどのレンズを通した時でないと、なかなか認識できません。

例えば上の写真のようにモチーフを並べて絵を描くとします。
最初、こちらに割れ目を開いているザクロに自分の眼の焦点を当て見ています。
この時、その右隣のザクロや後ろのビンは意識の外(つまりアウト・オブ眼中)なので、それがどんな風に見えているか、ピントがボケているか、等という事は把握できません

で、今度は後ろの「青いビン」を描こうと思って、そちらを見てしまうと、もうその時にはそちらにピントがあっています。
ほとんどの絵描きがそうだと思うのですが手前のザクロに意識を集中したままの状態で、その奥の青いビンを見て描く事は極めて困難な作業なんです。
(実際にやってみるとわかります。)
逆に言ってしまえば、写真の様な被写界深度の浅い絵があったとしたら、その多くは「写真を参考にして描いている」んだと思います。

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そして「空気遠近法」

これは空気の中の埃や水分によって、光が屈折し、遠くの物の明度や彩度が落ちて見える現象の事。
これは空気の層が厚くなればなるほど顕著になる現象で、その効果によって上の写真のように奥行きが表現できます。
そしてこちらは「被写界深度」と違い、肉眼でも把握できますし、絵の世界でも昔から利用されてきました。

ただ、この現象に「空気の層」が関わっているとするならば、遠距離だろうと至近距離だろうと、その距離に比例して起こる現象のはずなんですが、静物画や人物画ではほとんど使いませんし、部屋の中などの狭い空間にいるときは、そんな現象は全く意識されません。
(実を言うとそれらしい表現をしている人物画もあるにはあるのですが、その話はまた後日。)
実際、我が家の食卓に並べられた一番遠くの皿が霞んで「何が盛られているかわからない」なんて事は今まで経験した事ありません。

で、もう一つ。

以前「心的被写界深度」という話をしましたが、これをもう少し詳しく言うとこんな風になります。

目の前の美しい女性を描こうと絵を描きます。
その美しさを表現したいと思うあまりに、一生懸命、見て描きます。ピントのぴったり合った様な精度の人物が描かれて行きます。
ふと、その時、その後ろにべつの人物がいる事に気が付きます。

「まあ、この人はどうでもいいや...」

と思い「全く描かない」という選択肢もあった訳ですが、描かないと、逆に「この場の雰囲気が表現できない!」という事に気が付き、結局は描く事にします。しかしあまりはっきり描いてしまうと、手前の美人の印象が弱くなってしまいそうなので、何となくはっきりと描かない事にします。

これが一つの心的被写界深度。
本当ははっきり見えているのに、あえてはっきり描かない事で、画面に奥行きも出るし、表現の意図も明確になります。

さらに描き進めていると、その奥にきれいな桜の樹がある事に気が付きます。

で、画家は文字通りこの作品に、そして美人に「花を添えよう」とその桜の樹もしっかり、くっきり、はっきりと描きます。

こうなってしまうと、もう物理現象であるところの「被写界深度」と呼べる物ではありません。
でも、あえて表現したい物にピントを合わせ、そうじゃない物はボケさせるという「被写界深度」とよく似た表現法だと思ったので、あえて「心的被写界深度」なんて言い方をしてみました。

     ×        ×        ×     

以上、すっかり話が長くなってしまいましたが、時々、こんなことを考えながら作業をしています。
根負けせずにここまで読んで頂いた方、本当にありがとうございました。



中野修一公式ウェブサイト/この世界のカケラを眺めながら
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html

「小さな美術館がやって来る!」計画についてはこちら
http://sekainokakera.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-26bd.html




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2009年12月24日 (木)

信ずる者の所にだけ、サンタは訪れる?

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表題とはあまり似つかわしくない写真にて失礼。

「今日は年賀状ネタで...」と思いつつ、写真の日付を見て本日がイブなのに気付いた始末。

思い返せば、カトリック系幼稚園にて、サンタ・ニコライの存在を擦り込まれて以来、40年近い月日をやり過ごしてしまった今日この頃。この表題通りなら、こんなくたびれたオッさんになったとしても、その存在を強く信じてしまいたくなる昨今の不景気感。
(もっとも個人的不景気は、ずっと前から始まっていたけど。)

近所のタバコ屋を前にして、年末ジャンボを買おうかどうか、迷ってしまいます。

     ×        ×        ×     

それにも増して、この時期迷うのが、年賀状のデザイン。

「絵が上手だから、楽しいでしょ!」

何て言われる事がありますが、実を言うと大の苦手。そのせいでいつもギリギリまで手をつけず、慌ててやるので、「苦手」の上にさらに「焦り」が加わり、結果は惨憺たるモノ。
だいたい干支は動物ばかりだし、動物の絵ばかり描いている私が言うのもなんですが、本来、人間も含めて「動物」を描くのが苦手なんですよ。

本当は...

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2009年12月 4日 (金)

歯車を動かすためには...

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子どもの頃、ドライバー片手に何でも分解したくなった時期があります。

自分のおもちゃをバラしては、構造を理解し、再び組み立てる。大切なものですから、途中放棄する事無く、ちゃんと最後までくみ上げます。

壊れた目覚まし時計を分解した時の事。
「どんな風に動くのだろう?」と手前の小さな歯車に指を掛けれども、
硬くて全然動きません。
試しにその隣の大きな歯車を動かしてみると全てが動き出します。

その時、わかったこと。

何かを動かす為には
時として
一番大きな歯車を動かした方が良い時もある。
そうすれば小さな歯車も自然と動き出す...

     ×        ×        ×     

とある企画が進行中です。
自分では小さな歯車をちょっと動かした程度のつもりでしたが、
思ったよりも大きな歯車が動き出してしまったみたい。

なんてぼんやりと眺めていたら、その隣でも別の歯車が動いています。

カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ...

ちゃんと油もさしておかないと...



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2009年11月29日 (日)

いくら描いても....

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いくら描いても、やっぱり「花」って苦手です。

花びらが重かったり、色が沈んでいたり。

昔見た、「ウィーン分離派」の作品で、印象的なコスモスの絵があって、そんなのを頭に思い描きながら描いたんだけど...。

 風にそよぐ感じ...
 光が当たって、色が輝く感じ...
 そして、もっと明るくて...

秋の訪れを感じさせる様な、そんな一枚が描きたかったのに...

なかなか思うようには行きません。



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2009年11月27日 (金)

これ、なんだ??/その2

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以前にもちょっとだけ紹介したF100号。

ここまで描けば、何かわかるでしょうか?

それにしても不思議な形。
普段はほとんど目にしない角度からの映像で、これだけ描いてあっても、きっとなんだかわからずに、帰ってしまう人も出る事でしょう。

この瞬間を写真に収める為に、この水槽の前で20分近く粘りました。
途中、水中での脱糞も目撃したり...

水面ギリギリで行なわれるその行為は、さらに強烈なオナラでパワーアップされ、その瞬間、スゴい勢いで水面が泡立ち、こちらにまで「中身」が飛び散ってきそうでした。

まあ、絵にはなりませんが...

そろそろ2匹目にも取りかかります。



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2009年11月21日 (土)

これ、なんだ??

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先週ぐらいから描き始めたF100号。

描いてて、愉快な気分になってきたので、ちょっとだけご紹介。とクエスチョン。


これって、一体なんでしょうか?


わかった人も、わからない人も、
気になる方は、来年10月の個展を楽しみに。

...と言いつつ、時々、進捗状況なども紹介してきますけど。



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50mmの空

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50ミリのレンズで切り取った空。

ちょっと窮屈な気もするけど、これはこれで結構、気に入っている。



でも、何故だか

無性に「空以外の何か」を一緒に写り込ませようとしている。

例えば、アンテナだったり、電柱だったり...

ひょっとして、
この方がスケール感が出るからかもしれない。

よく判らないけれど...

     ×        ×        ×     

今も昔も、どんなカメラを使おうと、
モチーフとして風景を切り取るときは、いつも自分のイメージ合わせて、切ったり貼ったり。

だから時として、分割して撮って、あとで合成したり。

でも、時には、撮った写真の方に構図を合わせて、描いてみるのも良いかもしれない。(といってもキャンバスとカメラのフレームの比率は同じじゃないから、どっちにしても切り取る事にはなるのだけれど)

カメラが変わると、絵も変わる??

そんな、まさか...



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2009年11月20日 (金)

仕事は進むよ、どこまでも...

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毎日天気が悪くって、家の中に缶詰状態。
軟禁されてる訳でも、拘束されている訳ではないけれども、なんだか出不精。

こう雨ばっかり続くと、ウォーキングも出来ず、なんだかお腹の辺りも...

でも、そんな天気のおかげで、仕事ははかどります。
先週ぐらいには50号をほぼ描き終え、それから描き始めて100号も今週中には下絵が完成するでしょう。

後悔も反省も無く、坂を転がり落ちるように、勢いと言うか惰性と言うか、そんな風に進む感じは「仕事」と言うよりもむしろ「作業」と言った方が適当な気がします。
難しく考えたって、仕様がないんで...

     ×        ×        ×     

裸婦デッサン会に行っていたときも思った事ですが、最近、鉛筆でデッサンする事が億劫になってきました。

油絵の具ばかり使っていると、筆で塗る「面」に慣れ過ぎて、鉛筆の「線」で描く作業が、非常にもどかしく感じられます。
そう思って、木炭に持ち替えてもみましたが、やっぱり絵の具の様なダイレクトさが感じられずに、これも正直、気が進まない。
そもそも、カラーで見えるものを、わざわざ白黒に置き換えなきゃならないって言う作業自体にもどかしさを感じるのか?

デッサンという行為自体を否定する気は毛頭ありませんが、自分の体質には合わなくなって来たような気がします。

今度は油彩で描いてみたいな...

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2009年11月14日 (土)

物理的なそれと心的なそれ/被写界深度の話

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絞りをめいいっぱい開けて、シャッターを切る。
すると見せたい所にだけピントがあって、その前後はボケて、奥行きのある写真ができます。

見せたい所を際立たせる事で、撮影者の思いを明確化するときなどに使う手法。

これが私の言う所の、いわゆる
「物理的被写界深度」

何故に「物理的」といえば、これはレンズの絞りとそこからの距離によって、極めて法則的に生じる現象ですので、あえてこう呼びます。

で、こんな写真を撮っていると、当然、こんな絵が描けないかと思い、ちょっとやってみます。

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すると、こんな風になります。

「これは面白いかも...」

やってみると、確かに「物理的被写界深度の浅い写真」の様な雰囲気を醸し出した絵になってきます。

まるで天下でも取った様な、軽い高揚感のもとで制作を続けているうちに、ある事に気が付きます。

「こんな絵、どこかで見た事あるなぁ...」

で、よくよく思い出してみると「そんな作品はとうの昔から描かれている。」という事実に行き当たります。

例えばこんな風に...

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これはベラスケスと言うスペイン人が、今から400年近く前に描いた作品の部分なんですが、①の人を良く見て下さい。
(この写真自体、全体的にピンぼけでわかりにくいかもしれませんが)確かにこの人は「ピンぼけ」見たいに描かれています。
ここを暗くぼかす事によって、手前(=見せたい所)を際立たせ、明確化する、つまり「被写界深度の浅い写真」と同じ様な効果を生み出しています。

で、私はこれを
「心的被写界深度」と呼びます。

なぜ「心的」かと言えば、②の人を見てみて下さい。
写真であれば一番手前の人にピントがあっていて、その奥の人①のピントがボケているとすれば、更にそこより遠くにいる人や、もっと奥の背景などはもっとボケるはずにも関わらず、②の人はピンぼけしてません。

単純な物理法則に依るのではなく、作家の意図によって、一つの画面の中で「深度」を自由に使い分けることから、仮に「心的」とよびます。
(なんなら「作為的」とか「無秩序的」とか、呼んでも構いませんが)

ちなみにこの①の場合、さらに暗室作業で言う所の「焼き込み」みたいな事をする事で、さらにピンぼけみたいな効果を出しています。

長くなってしまいましたが、要するに、絵画の世界では、ずっと以前からこんなことは行なわれていたというお話。
別段、新しい試みではないことに、今更気が付いて、ちょっと赤面しています。



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2009年11月12日 (木)

何してるのかな?

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久びさの制作日記です。

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別に、この間仕事をしていなかったという訳ではありませんが、かと言って、その過程において、別段、何か特筆する事があった訳でもなく、単純に「書くべき事がなかった」という所でしょうか?

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こんな風な小品ばかりですで、贈答用だったり、依頼品だったり。

例え依頼は一つであっても、選択肢を幾つか用意しておいた方が無難です。

残れば残ったで、展覧会などに出せば言い訳ですし。

ご覧のように大作用のキャンバスも用意してありますので、この辺りの小品が片付いたら(いずれも少しずつ未完成)、そちらもボチボチ始めて行く予定です。

最後に、今現在進行中のもっとも「HOT」な新作です。

ここはどこ?

私は誰?

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