ささやくように...
マチエールなんて、所詮は作品を構成するほんの一部でしかない訳だから、それだけでどうこう語る筋合いのモノではないような気がする。
実際、マチエールになんか全然こだわっていなくても、良い作品はあるんだから...
この作品にしたって、描いてあるのは一本の樹と地面だけな訳で、それだけ聞くと他愛もない、何の変哲もない作品。
でも、というか「だから」なのか、背景となる空間のマチエールには妙にこだわって手を入れている。
墨汁を塗ったり、木炭の粉で描いたり、クレヨンでこすったり...
やった事ない事ばかりしているので、その後の仕上がりも予想ができず、その度に一喜一憂している。
行き先も判らない電車に飛び乗って、途中の駅で闇雲に乗り換え、突き進んでいる感じ。
始めから目的地なんか無いのだから、何処で降りれば良いかも全然判らない。
前進しているのか、それとも後退しているのか...。
世の中には「声の大きな」作品が多くなってきている。
それらは世の中の多くの人々に、メッセージを飛ばし、感動や喜びを与え、または突き放したり悩ませたりし、時には敵意さえ芽生えさせる。
同時に小さな声で「ささやく」ような作品も、この世界にたくさん存在する。
それは本当に小さな声だけれども、染み渡るように少しずつ、人から人へとジワジワと広がって行く
どっちが良いとか悪いとかじゃなく、どっちかが正しくて、どっちかが間違っているとかそんな話じゃなくて、
ただそんな気がするというだけのこと。
作品の「声の大小」
と、主張やメッセージがあるかないかは、また別の問題と思う今日この頃。
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