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2011年3月13日 (日)

何処から手をつけて良いか判らないけれど。

11031301

この地震で被害に遭われた皆様には謹んでお見舞いを申し上げます。

           *         *       *

何か書こうとパソコンの前に座ってみたが、いざとなると、混乱してしまい、何処から手をつけて良いのか判らなくなる。

それなら後日、キチンと整理してから...とも思ったのだけれど、その間に何か重要な事が失われて気がしそうな気がして、気ばかりが焦ります。

これからこの「東北沖太平洋路地震」のカテゴリーで書く記事は極めて個人的な記憶でしかありません。

でも、自分の中に溜まって行く何かを吐きださい事には、その何かがドンドン膨らんできてしまいそうで...

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3月11日、午後3時前のこと。
「久々のボタ雪だな」と思いながら、外に向けて写真を撮っていた時に、ちょうどその地震が起きました。

何かの胸騒ぎのように空気が微かに震えたような気がしたその直後、大きな揺れがやって来ました。

大きな揺れではありましたが、立っている事も歩いて移動する事も可能で、むしろ驚いたのはその継続時間の長さ

今まで経験した地震なら、頭が真っ白になっている間に揺れ自体が納まると言うパターンでしたが、今回はその時間があまりにも長過ぎて、足下が揺れている最中にも関わらず「これって、本当に地震なのだろうか?」と訝しんでいる自分がいました。
「雪捨ての大型トラックの集団が、家の前を途切れる事無く走っている」とか、「単なる目眩」とか「今更ながら、雪の重みで自宅が今まさに倒壊しようとしているのか?」などと考えられるほど、本当に長い時間揺れていました。

これは冗談でも脚色でもない、本当の話。
今までの経験からは推し量る事もできないくらい長い揺れに、軽いパニックを起こしていたのかもしれません。

揺れがおさまり、気が付けば停電。
ただ昼間だったせいもあり、ストーブの自動消火に気が付かなければ、停電にさえ気が付かなかったかもしれません。

とりあえず外の様子を見ようと思って、外に飛び出してみましたが、辺りはいつもと変わらない静けさに包まれていて、今のできごとが夢のようにさえ思えます。

その時、出かけていた妻が車で帰宅し、その無事が確認できました。

と同時に、学校に行っている二年生の我が子の事が急に心配になりました。

(続く)



中野修一公式ウェブサイト/この世界のカケラを眺めながら
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