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2010年10月29日 (金)

「写生をする」ということ

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私の作品のほとんどが「風景画」であるか「風景画の要素を多分に含んだ作品」が多いせいか、よく「これは風景を写生して描くんですか?」と尋ねられる。

しかし残念ながら、ここ数年、取材に行くと言ってカメラを持ち出すことは忘れないが、スケッチの道具を持たないことはよくあるし、実際には取り出さないことがほとんどである。

元々の根がセッカチなので、「その場に長居しているうちに、もっと良い場所を見逃すんじゃないか」と言う根拠のない不安に駆られて、そそくさと写真撮ったら次に移動!というパターンが多いんだろうと自己分析してみる。

確かにその場に長居した方が、判ること、伝わって来ることは多いように思うのだが、上のような理由で、なかなかそう出来ない自分がいる。

「でも、ひょっとしたら...」と思い立ち、先日の虎毛山登山には、スケッチブックを持参。
でも、さすがに途中の急登ではそんな気にもならず、向いの山の紅葉や目の前のブナ林を眺めながら、写真を撮っている。

「またいつもの通りか....」

と思いつつ、そんなカメラ片手に風景を眺めている自分の内面のふとした行為に気が付く。

「最初の下地はこう塗って、次はあの筆を使って、叩くように描いて...」

そこには自分の頭の中で道具を持って絵を描いている自分がいたのである。

その後も「ここはこんな色を混ぜ合わせ、筆使いはこんな感じで...。」

やがて頭の中で絵が完成する。

言い訳みたいな気もするが、頭の中でスケッチしている自分が、確かにそこにいたのです。

そんな自分に気が付いたのがちょっと嬉しくて、頂上では久々に本当にスケッチしちゃいました。



中野修一公式ウェブサイト/この世界のカケラを眺めながら
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html


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