西脇市の個展/作品解説「辺境の彼方」
辺境の彼方/F6号(41×32cm)/2005年作
クドいようですが、これも市販のキャンバスに油彩で描いた作品です。
以前にもお話ししたかもしれませんが、絵を見せると時々、
「この絵は現場で描かれた(スケッチされた)のですか?」
という質問をされます。
で、答えとしてはほとんど全てが「No!」
今も昔も自分で写した写真を元にしたアトリエペインティングが中心で、ほとんど野外でのスケッチさえ行なっていないのが現状です。
「現場の雰囲気が盛り込められない!」などの理由で、その事に懐疑的だったり、批判的な立場の方もいらっしゃるようですが、私個人としては第一に面倒くさい(絵描きの言葉とは思えない?)し、例え現場で描いたって、必ずしもそこに現場の空気を表現できるかどうかはまた別の問題だと考えているので、あえてその事にはこだわっていません。
もちろんその行為を否定する訳ではなく、むしろ自分だって常々そうしたいとは思ってますが、じっとそこに立って描いているうちに、本当に自分が描きたかった物が、時間の経過とともに逃げていくような気がして、待っていられないと言うのが、本音でしょうか?
(そういえば、最近「ライブペインティング」なんてのがあるようだけど、よく考えたら、印象派の画家なんて、ある意味ほとんどライブペインティングですよね。その行為を見せる(show)かどうかで「写生」か「ライブ〜」か分かれる所なんでしょうが、オーディエンスと交流しながらの行為なら意味もあるのかもしれませんが、そうじゃないなら、他人に見せながら描く意味ってあるのかな?)
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で、この作品、実を言うと「写生」を元にしていたら、たぶん生まれなかっただろう作品なんです。汚い写真にて失礼!
実を言えば、この写真を撮ったのが遥か20年前の事で、撮影後から15年目にしてようやく日の目を見たモチーフなんです。
これは自分がまだ学生だった頃の一人旅の際に、6月下旬の道北の利尻島にて撮影したペシ岬の灯台です。
6月の利尻礼文と言えば、お花がとてもきれいな季節ですが、この時は天候にも恵まれ、島の半分ほどを走破したりしているうちに、真っ黒に日焼けしてしまい、後で「沖縄に行って来たんじゃないの?」と知人に突っ込まれたほどです。
そんな中で取材したモチーフですから、そのまま描いていたら、雪景色になどなるはずもなかったでしょう。
もちろん描き始めたときは「雪景色にしよう!」なんて意図はこれっぽちもなく、その塗りの過程において、突如、こんな風に変わってしまったのです。
この作品を見る限り、現場の雰囲気というか、少なくともこの時の季節感だけは全く伝わっては来ません。
じゃあ「この作品がダメな作品か?」と言われれば、ずっと手放したくない思うほど、自分ではお気に入りの作品であると同時に、購入に関する問い合せのもっとも多い作品でもある訳です。
皆さんはどう思われますか?
感想などございましたら、コメント下さい!!
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コメント
はる 様
コメントありがとうございます。
一つの作品を、見る側が自由に解釈するのと同じように、造る側もまた自由につくれば良いのだ、と考える今日この頃です。
作者の想いをどれほど盛り込む事ができるのか?
またどの程度盛り込めば良いのか?
そして私は「誰の為に」描いているのか?(自分の為?)
そんな事を考えながら、描いているうちに、昔は想像もしなかったような所に、今、立っているのでした。
そして次はどこへ行くのやら?
投稿: SHUちゃんちゃん | 2010年6月12日 (土) 12時25分
あ! 会場で一番良いな~と思った作品だ!!
今回の日記…制作過程が垣間見れて納得すると同時に、興味深いです。
私も写真をよく使います。
写真を使わなければ描けない部分があったり、絵のネタを練る際に写真も必要だからです。
一方、スケッチもよくしてきます。絵のネタを写真やスケッチした現場で練ることもよくあります。
これは、写真に再現されにくい部分描いておいたり、、、一旦「絵のパーツ」になる部分を、描くことによって自身の中に入れて咀嚼させる必要があるからです。
写真は必要でもあるし、役に立たない部分も多い…しかも沢山の人間を詐欺っている!という実感持っています。
この絵は心の中を通って整理された印象があり、それだからこそ人の共感を呼ぶんでしょうね。
他にもこの絵を良いと感じている人が多いと知って、嬉しいです。
それにしても、私も自作を写生画と捉えられることがよくあるので、相手がある程度絵を勉強している場合は答えに難儀します。。。
投稿: はるさん | 2010年6月12日 (土) 07時17分
さくら 様
コメントありがとうございます。
遥か昔に、そちらともそんな話をした事があるような気がします。
今では「自分が納得できる作品が出来上がれば、その途中過程はあまり問題ではない」みたいに思っています。
写真にして眺め直す事に寄って、当時のザワつきが治まり、冷静に眺め直せたり、逆に新たな発見があったり...。
でも確かに最近のデジカメの解像度には驚かされると同時に、その出来上がった映像を見ながら、「オレの目はここまで細かく認識などしていない!」とそのギャップに頭を抱えているのも事実ですね。
そうそう、旅はやっぱり良いですよ!!
ブログの方も思った以上に好評だったようで、この間のアクセス数は自分でも信じられない数でした。
投稿: SHUちゃんちゃん | 2010年6月12日 (土) 05時53分
山田勝己 様
コメントありがとうございます。
自分が今よりも若く血気盛んだった頃は、そんな事を言われると、まるで自分の存在を否定されているかのように錯覚し、相手構わずガムシャラに噛み付いて、反論していました。
そんな私も今では、まるで達観したかの如く「結局は自分は自分」みたいな感覚で受け流しつつ、結局の所、どんな手法で描こうが「出来上がった作品だけが真実!」なんだなあと思う、今日この頃です。
投稿: SHUちゃんちゃん | 2010年6月12日 (土) 05時43分
こんにちは。個展の搬入おつかれさまでした。
旅の道中が細かく紹介されてて、一緒に旅した気分になりますね。
写真だけを見て描くことがどうか?
うーん、自分の描きたいイメージを再現するために必要なら
何をもとにしても問題ないのでは…。
私の場合は、写真を見て描くと描き過ぎて自分のイメージと
離れて行く場合が多いので、注意しています。
投稿: さくら | 2010年6月11日 (金) 09時56分
今日のコメント全く同感です。私が中野さんの絵に惹かれるのも同じ創作方法をとっているからなのかもしれません。自分の場合は身体障害の関係で現場スケッチが困難なので写真参考で描いてます。写真を見て描くことの問題が云々されてますので「IZUBI]の批評会で其の点を審査委員に確認しましたら、写真を見ながらでないとかけない描写が十分に生かされてるので創作にプラス面があるとの言葉でした。「辺境の彼方」を見てまして写真そっくりに描いたら全く面白くないと思います。写真を見ながら絵物語の構想を練る時が最高の至福の時と思います。
投稿: 山田勝己 | 2010年6月11日 (金) 08時04分