流れ去る負のエネルギーと封じ込められた念
ここ数日、流雪溝が流れ続けます。
一日2回、曜日ごとに指定された時間の30分ぐらい前になると、家からみんなゾロゾロと出てきて、雪をかき集め、流雪溝の重いフタを「ヨッコイショ!」と開け、水が流れてくるのを待ちながら、再び除雪。
最初のうちは、明るく声をかけていた挨拶も、日を重ねるごとにツヤも無くなり、トーンも下がります。
五日目の昨日などは、挨拶も含め「声を出すのも疲れる」と言った感じの、やや重苦しい雰囲気。
「いくら何でもいい加減にして欲しい...」
何となく、そんな重苦しいオーラを背中から発しながら、いつもにも増して、重そうに雪を寄せています。
そんな負のエネルギーを雪とともに流してしまうがの如く、流れ始めた流雪溝に雪をたたき落とします。
そして時々詰まりながらも、みんなの負のエネルギーを載せた流雪溝の冷たい水が、近くの堰に向かってどんどんと流れ落ち、その流れはやがて川へと向かいます。
ーーーーーーーーーーようやくF50号の街並が完成します。
こうやって小さく見ると、なんか写真ぽく見えて楽しいですが、普通に見るとやっぱり絵です。(写真をクリックすると拡大表示されます。)
セオリー通りなら、下描きの段階から、一軒ずつ鉛筆で正確に描き込むのですが、ただ不思議なもので、こんな風にぶっつけ本番で描いた方が、妙な迫力が出たりするんですよね。
下描きが無い分、緊張感があると言うか、念がこもると言うか、パッと見は雑に見えるんですけど、自分的には嫌いじゃないんです。
単に「苦労した分、愛着がわく」みたいな自画自賛的感覚なのかもしれませんが。
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