例えば、ネオテニー...
作家は作品を作るだけ。
もちろん時代や時勢が反映する事はあるが、作家の基本は創ること。
「時代のムーブメント」みたいなものは、キュレーターやコレクター、あるいはパトロンみたいな人たちが作っている。
いちいちそんな流れに合わせて(あるいは迎合して)作品を作ってみてもしょうがない。
流れの先頭にいなければ意味が無く、その先頭に「誰を立たせるか?」という問題に答えるのは、たぶん作家以外の誰かさんなのだ。
どんな時代も流れは一本ではないのだと思う。
「ネオテニー」という一つの流れ。
玉石混合。
味噌も糞も一緒に流れていく感じ。
そんな様子を外から冷静に眺める為の展覧会。
ある人がネオテニー・ジャパン展に対して
「スゴい展覧会が秋田にやって来る!」と言っていた。
しかし当の展覧会を企画する人たちにとって重要な事は「スゴい展覧会を企画する」だけではなく、どうやってそのスゴさを「一般の人に伝えるか」という事。
その筋の人が「スゴい」と言っただけでは、一般の人には伝わらない。
玄人が考える「スゴさ」と、素人が感じる「スゴさ」は結構ずれていたりする。
「スゴさが伝わらないのは、鑑賞者の見識が低いからだ」と言ってしまうのは簡単だが、その「スゴさ」が伝わらなければ、誰も会場に足を運ばないんじゃないのかな。
でもこれって、たぶんとっても伝えにくい事だと思う。
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html
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