デジタルとアナログと
昨日は再びの二日酔いで更新が滞ります。
で、鉛の固まりが詰まっているみたいな、そんな頭を抱えながら、早朝のバスに乗って一人秋田市へ行きます。
車中にて「一眠りすれば、良くなっているだろう」と思いつつ、うつらうつらとしていると、気が付けば秋田駅前に到着。
起きた時の方が具合が悪く、どうやらこれが二日酔いの本番のようで、という事はそれ以前の状態は「ただの酒酔い」だったのでしょうか?
謎は深まります...。
っていうか、一人で勝手に深めてるだけですね...
PHOTONE/ GOTOH Hitoshi solo exhivision
フォトーン/後藤仁個展
デジカメと写メによるデジタル画像写真展
9月9日(水)〜9月13日(日)
11:00〜20:00(最終日は17:00まで)
ココラボラトリー
(秋田市大町3丁目1-12川反中央ビル)
そんな展覧会を観てきます。
作品、というか展示を見ながら、作家さんの話を聞きます。
で、性懲りもなく、自分も喋ります。
「オレって何様のつもり?」っていつもあとで反省するんだけど、でもまた同じ事の繰り返し。
そんな身もない「偉そうな話」を真面目に聞いてくれる後藤さん。
そんな話を繰り返しているうちに、
「デジタルとかアナログとかの違いに全然頓着がない自分」に気が付きます。
その後、自分でいろいろと考えながら、その「理由らしき」物に思い至ります。
1.デジタル画像。モニターに映し出されたそれは、神経質といえる程に均等に並べられた一つ一つのドットに、これまた神経質なほど勤勉に「0」と「1」のみを使用し、一つ一つに色番号を指定して像を描き出します。
2.アナログ画像。例えば紙焼き写真。これもよくよく突き詰めてみれば不規則ではあるけれど3色の色点の集合体。
3.油彩画。これも突き詰めれば、顔料と言う名の「色のついた粒」の集合体で、この色の粒を「色点」と考えるなら油彩画もまた色点の集合体でしかない。
確かにデジタルは電源を抜いてしまえば、消えてしまうし、物理的な消去もいとも簡単にできてしまう。
しかし、それをいうならアナログ画像だって、「自ら発光するデジタル画像」に対し、そもそも「外光」がなければ認識する事が出来ない訳で、簡単ではないにしろ「消去するという強い意志」さえあれば、消し去る事ができるのです。
そうやって考えると「儚い」とか「危うい」というのも程度の差こそあれ、どちらにも当てはまる事であり、どんな道具を使って表現しようとそこに映し出されたり、描き出された物が「所詮は虚像」という事実に違いはありません。
そう考えて、それぞれの作品を見た時に、私が一番に考える事は、
「どうしてこういう構図で切り取ったんだろうか?」
「
なぜこうやって並べている(展示している)んだろうか?」
だから「デジタルで加工する」という選択も、私にとっては(道具として)「油彩画を選んだ」とか「フィルムカメラを選んだ」とかいう選択肢の一つでしかなく、それはある意味「こだわり」とか「愛着」、もっと言えば使う側の「心地良さ」なんじゃないかと思うんです。
だから自分は
「どうして油絵の具なんですか?」と聞かれても、
「この感じが好きだからです。」としか答えられませんし、20年間使ってきて、その奥深さにどんどんはまっていく感じです。
そしてどんな道具にも奥があって、それを選んだ人の「こだわり」があるんだと思います。
だから、初めて見る展覧会も面白いですが、その人の次の展覧会を観るのはもっと楽しみになる訳です。
私が持ち得ない様な視点と切り口を見せてくれた展覧会。
次はどんな物を見せてくれるのか、とっても楽しみです。
後藤さんのブログもあるみたいです。興味のある方はそちらもぜひどうぞ!
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html
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