私的展覧会の見方/ne.jp.展にて
ネオテニー・ジャパン展
内覧会&ギャラリー・トークでの一コマ。
「横手をモチーフに作ったそうですが、ずいぶんカラフルですね。
あなたは横手の冬を知らないんじゃないですか?」
確かに色鮮やかな糸(?)やご当地ストラップを縫い込んであるその作品はカラフルであり、この辺りの冬の雪景色からは遠くかけ離れているようにも見えます。
でも、秋田はおろか、東北初体験、しかも滞在して10日ほどしか経っていない作家さんに「冬の横手」と言われても、それは判るはずもないし、判る手段すらあるはずもない。
実を言えば、この時もそうですし、翌日のアーティスト・トークでもそうなのですが、妙に「秋田」と言う事にこだわった質問が多かったりします。
これも「地域性」なのでしょうか?
どうやら美術の展覧会というと
「そこから何かを読み取って、
理解し納得しなければいけない。」
と思ってしまう傾向があるようです。
だから、会場に足を運んだ人は「ここで何か見つけなきゃならない!」と必死になっているし、逆に「展覧会の鑑賞」が苦手な人のほとんどは一様に
「絵って、よく判らないんだよね。」
と言われます。
いつからそうなったのでしょうか?
誰がそうしたのでしょうか?
とりあえず「判ろう」なんて気持ちは捨てましょう!
作品を体感する!
その作品の前に立って眺めた時、気持ちよいか、それとも気持ち悪いか?
楽しい気分か、それとも不快か?
じっと見ていたいか、早く立ち去りたいか?
そんな風に観て、「感じて」しまえば良いような気がします。
「どんな意図で作られたのか?」
「何を表現したいのか?」
なんて事は案外、作った本人だって判らないんですから、第3者になんか判る訳もないですし、例え判ったつもりになったとしても、それが作家本人の想いと同じかどうかは解明できません。
美しい夕焼け空
きれいな花
或いは美人
そんな物に出会った時、
「なぜ美しいか?」
なんて難しい事、考えるより、ずっと眺めていた方が楽しいじゃないですか?
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html
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