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2009年6月26日 (金)

昔の話...「見えない」ベルリンの壁

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たぶんこの文章がアップされる頃には、某有名歌手の生死の話題でネット上も騒然となっている事でしょう。
でもそんな事とは関係なく、今日もマイペースで、ちょっと思いついた話を書いていきます。

この前、何かの記事を見ていたら「ベルリンの壁」が崩壊してから、今年で20年目だということ。
もちろん当時はまだ学生だったんで、その劇的な瞬間はテレビで見ていただけですし、その事に特別な想いがあった訳でもなく、ただのんびりと眺めていたような気がします。

実を言うと今日の話はその2年後に、その舞台となった旧東西ドイツ、そしてベルリンに行った時の事。

まず予備知識として一つ確認事項。
崩壊前のベルリンってどうなってたか知ってますか?

東西の国境線の真ん中にベルリンがあって、東西に分断されていた?
これ不正解。

正解は

東独の真ん中にベルリン市があって、
その中に西ベルリンだけが壁に囲われ、
「飛び地」のように存在していました。


だから、西独に住んでいる人は西ベルリンに車で行くとなると、必ず東ドイツ領内を通過せねばならず、パスポートの所持は必携。仕事で通う事があったりすると、あっという間にスタンプだらけになり、大使館などでページを増刷してもらったりしていたそうです。

知り合いの自家用車で私がベルリンに行ったときはすでに東西統一の2年後だったので、もちろんそんな必要はありません。アウトバーンを走っていれば、いつ旧東独エリアに入ったかわからない...はずでした。

ところが...
その無いはずの国境がはっきりとわかるのです。

壁も鉄条網もありません。
もちろんパスポートチェックだってありません。

でも風景が一変します。道路沿いの街路樹が突然少なくなり、見通しが良くなります。そしてそこから見える風景は、荒涼として,寒々としていました。

時折見える街並も、どこか無味乾燥と言うか投げやりに作られた感じで、道々のサービスエリアも、西独では考えられないほど、売っているものもほとんどなく、しみったれた感じです。

統合から2年経ったとは言え、状況はそれ以前とはあまり変わった所が無いような感じで、とても同じ国内だとは思えないほどでした。

実際、統合した当時から、なかなか経済格差や,貧富の差が埋まらず、国境を越えて来て、東の人が、西の人の畑を荒らすなどしていたらしく「前の方が良かった」という人もいるなんて話を、何かで耳にした様な記憶があります。

そんな両者の間には当時もまだ「目に見えない国境」が確かに存在していました。

あれから20年が経ち、こんな状況はたぶん改善されたんでしょう。
でも人々の心の中の「見えない国境」は消えたのでしょうか?
こればっかりは、よそ者の私にはわからない事ですが。





中野修一公式ウェブサイト/この世界のカケラを眺めながら
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html




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