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2009年4月 1日 (水)

「ワイエス展」を観る、その3/福島県立美術館

09040101

 今から20年くらい前、実を言うと2度ほど、ワイエス展の図録を買い損ねた事があります。
 どちらも原因は売り切れ。今ならあまり考えられない出来事ですが、当時はそんな事がありました。ただ、どちらの図録も、後に展覧会の副題を冠した、大層立派なハードカバーの作品集が発売されました。掲載内容は展覧会の図録とほとんど同じでしたが、価格は倍以上に跳ね上がり、学生の身分ではとても手に入るような代物ではなく、泣く泣くあきらめたのを憶えています。

 それがトラウマになっているのかどうか定かではありませんが、最近はどうしても「観たい」or「欲しい」展覧会の図録は、出来る限り事前に通販で買うようにしています。って言っても年に1冊ぐらいの事ですけど。

 今回のワイエス展の図録は前回の巡回先の愛知県美術館(何故か県の後に「立」がつかない)の方で購入したのですが、その際同封されたチラシと福島での展覧会のチラシ見比べてみると、だいぶん趣が異なる事に気が付きます。共通項こそあれ、裏面の解説など細部を比較すると大きく違う事が判ります。
 この両者の違いの明確な意図は判りませんが、こんな風に違う事に気づかされたのが初めての経験だったので、ちょっと面白くって紹介してみました。

「ワイエス展」のたぶん最後/水彩画の白

09040102 水彩画における白。写実的な描写において、この白が光を表現する時、その部分は、その画面の中で最も明るい所(最明部)を表しています。白く光る金属、反射光、太陽、海の波頭、雲、雪などなど。
 それが何を表現するかはさておき、(透明)水彩画においての白色は「絵の具の白」ではなく「紙の白」であり、そこは最初から最後まで、

一度も色を塗られなかった部分な訳であります。

 そう思ってワイエスの水彩画の作品を見直してみると、改めて彼の作品の凄さを実感させられます。

 例えば、その上の写真の、轍のような部分に細く積もった雪の表現。
 この部分は最初からこの形を「抜く」ようにその周囲だけに色がおかれ、それが最後までしっかりと守られています。また作品によってはこの「白抜き」の形の境界線をぼんやりにじませる事で、また違った雰囲気を醸しているものもあります。

09040103 私のように油彩画を描いていたり、テンペラを不透明絵の具として多用するのに慣れている人間だとどうしても、

「後から白で塗ればいいや」

 と思ってしまいますし、実際その方が、その周囲を描くの時も、楽にきれいにできるんです。

 しかしワイエスはそうしていないのです。

 そこにどんなこだわりがあるのか、彼が亡くなってしまった今では、尋ねる事も出来ません。
 けれども、そんな形の中に、作品の背骨を引き締めるような緊張感を感じるのです。

 作家が最後まで明確な意図を持って塗り残し、守り抜いた「白い明部」の中からは、何も描かれていないのにも関わらず、実に雄弁に何かを物語っているような気がするのです。
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 子どもの頃の「図画・工作」の時間に「画面に塗り残しがないように塗りなさい」なんて先生からよく言われたの思い出しました。



中野修一公式ウェブサイト/この世界のカケラを眺めながら
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html

私の作品が西脇市サムホール大賞展に入賞しました。
http://www.nishiwaki-cs.or.jp/okanoyama-museum/thumbhole/




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