「ワイエス展」を観る、その2/福島県立美術館
東北自動車道へ仙台方面へ走ると、こんな風にきれいな山並みが見える。磐梯山なんでしょうか?と思うとさらにその先にも、又別の山並みが見えて、もうこうなると何の山なのかも判らず、ただ眺めるばかり。
そんな山並みをカメラにおさめようと思って、シャッターを切ったら、偶然写り込んだ吹き流し。「高速」撮影だとこんな事も時々ありがち。
で、この吹き流しが示す通り、この日は時折、ハンドルが取られるほどの強風が吹きます。それにしても春先は、風の強い日が多いですね。風のせいで体感温度は下がりますが、同時にこの風は雪を早く融かすという役割も担っているようです。
「ワイエス展」の続き/細部と精度
ちょっと暗過ぎる場内で、しっかりと眼を凝らして作品を鑑賞します。気が付けば、額に鼻先がくっつくんじゃないかと思うほど近づいていて、あわてて下がってからもう一度眺めたり・・・。
ワイエスの作品で、よく取沙汰されるのが、そのタッチの緻密さです。前述の作品のような人物の肌や髪の毛のタッチなどを観ていると、確かに髪の毛1本1本まで丁寧に描いてあり、また皮膚にいたっては、毛穴まで見えるんじゃないかと思わせるくらいの繊細な筆遣いで描かれています。
また鉛筆によるデッサンでも、「どんな芯の細さで描いてるんじゃ!」と思わず突っ込みたくなるほど細い線で、枯れ草を1本ずつ描いていたりして、思わず脱帽してしまいます。
じゃ、絵の隅から隅までこんな精度で描いているのかと言うと、実を言うとそうじゃなさそうです。例えば、デッサンなどそんな細密な線を見せたその隣で、まるで別の人格が現れて描いたかのような、荒々しいほどに力強い極太の線が描かれていたりします。
テンペラに寄る本画の中にも、細部がきっちりと書き込まれている所があるかと思えば、上の写真の中の雑木林ように、よく見るとただハッチングを重ねただけで、それなりに描いている所もあります。木が幾重にも重なっている雑木林ですから、ある程度線の数を重ねて、奥行きを出す苦労はしているようですが、それは「樹の形を正確に描いた」というよりも「樹らしく見えれば良い」という程度に力を抜いて描かれていて、その部分だけ取り出してみれば、ただの線の重なりにしか見えません。
それでも手前に何本か本物の樹を正確に描く事で、奥の線の山も木の重なりに見えると言う、いわゆる「錯覚による思い込ませ効果」みたいな表現なんです。(もちろんただ線を重ねれば良いという訳ではありません。色使いや、ハッチングの方向や強弱をそれらしくしないと全然別物になってしまいます。それがちゃんと出来ているのがワイエスの凄さです。)
もっと言えば、遠くに見える緑の森や、人物や建物によって出来る影の部分がただのべた塗りで描かれていたりと、結構こんな効果が色んな所に出て来ます。
「コントラスト」とでも言えば良いんでしょうか、緻密な細部と、大雑把な描写との響き合いが、画面全体に不思議なリズムを生み出し、作品に奥行きを持たせているような気がします。
最近の傾向なのか、隅々の細部まで描いてしまおうという流れがあって、ともすれば自分のそんな深みに溺れてしまいます。一心不乱に細部まで眺めながら書き込む作業は、一度はまってしまうと、その心地良さになかなか浮き上がって来れなくなってしまいます。
そんな時、ワイエスの作品の中の「コントラスト」の事を思い出し、今一度、一歩下がって作品を眺めるようにしています。
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html
http://www.nishiwaki-cs.or.jp/okanoyama-museum/thumbhole/
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