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2009年2月16日 (月)

行き当たる場所/その1

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 昨日は犬っこ祭り最終日。朝ちょっと晴れたと思いきや、やがて雲がたれ込め昼からは雨。ともっていたらやがてみぞれに代わり、そしていつの間にやら雪模様。とてもめまぐるしい天気の一日でした。
 そんな中でも仕事は進めて行きます。

 こういう絵を描いていて必ず行き当たる問題。(いうほど大げさな事でもないですが)

 「どこまで描き込めば良いの?」

 一見作品だけみると、すごく細かく描いているように見えるらしいのですが、実際の写真と比較すると、結構いい加減に描いているのがわかると思います。
 この部分では、窓の数などもたまたま合ってますが、下描きなしで描いている部分も多いので、階数なんか合わない事の方が多いです。
 普通の家ならともかく、高層ビルの階数が違ったって誰も気が付きません。たぶんそこに住んでいる本人だって気が付かないでしょう。

 色だってそうです。看板ならともかく、建物の色が少しぐらい違っても、問題はありません。大体写真を見ながらだって、同じ色なんかそう簡単に出るもんじゃないし、人物画なら大問題かもしれませんが、ここで茶色のビルをベージュに塗ったって、体制に影響はありません。

 ここで大事な事は

「いかに本物っぽく見えるか」という事。

 一応、百万都市を描いてる訳ですから、戸数数件の田舎の集落のように見えてもらっては困ります。「札幌なら札幌」「大阪なら大阪」らしく見える特徴も押さえた方が良いでしょう。そしてできれば、時間帯や季節やその時の天候、そんなものも結構大切かもしれません。

 所詮は「絵」なのですから、リアル(「現物そのもの」くらいの意味)ではありません。そこに描けるのはせいぜいリアリティ(「現物のようなもの」という意味合い)でしかなく、本物の街らしく見えるように描くしかないし、そう描いてあれば充分だと思うのです。

 どんなに頑張って眼を皿のようにして描こうと、それが例え写真だろうと、そこに描かれたもの(あるいは写ったものは)もちろん街並の虚像でしか無く、どんなに現物に迫る「リアリティ」はあっても、「リアル」な街そのものではないのですから。

 本物(リアルな物)の姿から与えられた様々な印象や心の動き。猥雑な感じや冷たい感じ、虚無感、寂寥感、喜びや悲しみ、あるいはあこがれ。そういったものが描かれていて始めて作品の「リアリティ」が際立つのかもしれません。
 ただ写真のように描いているだけでは、「リアリティ」はやって来ません。そんな気がします。



中野修一公式ウェブサイト/この世界のカケラを眺めながら
http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html

私の作品が西脇市サムホール大賞展に入賞しました。
  http://www.nishiwaki-cs.or.jp/okanoyama-museum/thumbhole/




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