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2008年10月17日 (金)

作品の価値とは?

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 「作品の価値は常に変化し、未来は、私たち鑑賞者が作っていく」

 ある時、こんな文章を目にしました。確かに作品の「未来」は私たち作り手が死んでしまえば、どうしようもありません。それどころか一度他人の手に渡ってしまった作品など、その後、美術館に収蔵されようが、ノミの市でたたき売られようが、火事で焼失しようが、愚痴ならともかく文句までは言えません。
 日本の名作の多くが国外の流失している事実なども考えると、やはり、作品の価値は鑑賞者(又は所有者)によって左右されているのかもしれません。

 でも果たして本当にそうなのでしょうか?。

 一つの作品を見て「名作だ」と思う人もあれば「つまらない」と思う人もいます。作られた当時はただのチラシ程度にしか思われていなかった浮世絵が、今では名品として美術館に並んでいる事実。
 作家の手を離れてしまえば、その作品はそれ以上変わる事はありません。にもかかわらず、見る人や、時代が変わると作品に対する評価も変わってしまうのは何故でしょう?

作品が変わらないということは

そこに内在する価値が変わる訳がないのです。

 作品には作家が込めようとした様々「思い」が内在します。と同時に時代性や環境の違いなど、無意識、無自覚のうちに内在されてしまう物もあるでしょう。そしてそれは作家が道具を置いた時点で、その作品の中に定着され、汚染や破損以外の理由で、それ以上増えもしなければ減る事もないはずです。

 そう考えると、作品の「価値が変わる」のではなく、ある時、誰かが

「そこに内在する価値に気づく」のではないでしょうか?

 印象派の作品の多くがそうだったように、作られた当時は相手にされないどころか、ひどく叩かれたさえした物が、今では珍重されています。逆にあの有名なゲーテがある著書の中で「優れた芸術家」として取り上げて来た彼の同時代の作家の多くが、今の美術史の中ではほとんど箸にも棒にもかかっていない事実。

 私たち作家が作り出した作品が、善くも悪くも流行などと言った、人や時代によって「変化する価値観」の中で浮き沈みするのも事実であり、レオナルドの作品のように、「謎」と称して、後からいろいろな価値を押し付けられる事さえあります。
 しかし、作品に内在する価値は、少しも変わる事なくその中に在り続けている のです。




2008 中野修一 絵画展
  日 時:2008年10月22日(水)〜26日(日)
     11:00〜20:00(最終日は17時まで)
  会 場:cocolaboratory(ココラボラトリー*ギャラリー)
     秋田市大町3丁目1-12川反中央ビル1F

2008dm

 DMの郵送希望者も募集しています。下記の中野修一公式ウェブサイト内の「問い合わせ」からメールいただければ、お送りします。

 なお、郵送の方は無くなり次第、終了致しますのであしからず。


中野修一公式ウェブサイト/この世界のカケラを眺めながら
  雪梁舎フィレンツェ賞展の入選作も公開中

   http://homepage.mac.com/sekainokakera/index.html
  

私の作品が西脇市サムホール大賞展に入賞しました。
   http://www.nishiwaki-cs.or.jp/okanoyama-museum/thumbhole/


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